改めて、ちょっと長いのですが、自己紹介をさせて下さい。
僕は今、木を彫ることを仕事にしています。
ですが、僕自身もともとものを作ることが好きだった訳ではありません。
小学校の工作の時間「みんなができるのに、なぜ、自分はできないんだろう」
不器用なことがずっとコンプレックスでした。
25歳のある日、木彫り職人 故・藤戸幸次氏の作品に出会いました。
作品が置いてあるショーケースのガラス越しで、動けませんでした。
その時の感動が、その後一年間ずっと僕の背中を押し続けました。
「これを作った人に会ってみたい、だけど...」
「こんなものを作れたら、でもこの年齢で職人の世界に入るには遅すぎるかも...」
会ったことも、どこにいる人なのかもわからない。
たとえ会えたとしても何もやったことのない僕に「木を彫ってみたいです」とは言えない。
「手先が器用だったら...」
無いものをねだったり、言い訳をしたり、やる前から諦めたり、どうせ僕なんかと思ったり、いろんなことを考えた一年間、それでも、心のどこかで僅かな可能性を信じて、いつでも探しにいける資金を貯めた一年間。
そんな時にある写真家の生き方と言葉に僕は励まされました。
彼は、友人の死を通して、限られた時間の中でどのように生きていくのかを模索し、ある日、それを見つけました。
それは、好きなことをやっていこうという「強い思い」でした。
やがて、彼はアラスカを舞台にした写真家となりました。
北海道へ行く数日前、今までにこれ以上ないという覚悟を決めて、
Agueさんのお店(師匠の作品に出会ったお店)に話をしに行きました。
自分の気持ちと覚悟を話すと、agueさんは真剣な眼で僕の目を見て、
「北海道の阿寒湖へ行って、手当たり次第人に聞いてみな。もしかして会えるかもよ」
僕の覚悟を試すように、厳しくも温かく僕の目を見て言いました。そして、誰よりも真剣に僕のことを考えてくれました。
大まかな場所で不安を覚えましたが、気持ちは「行く」と決まっていました。
どこかで馬鹿げたことだと思う自分に、バカみたいに真剣になって歩く姿を見せよう、そう思いました。
北海道へ行く前日、友人が壮行会を開いてくれました。
押し寄せる不安と恐くてたまらない気持ち、少しの間忘れることができました。
「この木彫を作った人を知りませんか?」
阿寒湖で聞き回ったこと。
藤戸幸次さんに、本当に出会えた時の何とも言えない気持ち。
「弟子にしてください」としか言えませんでした。
今までにもそう言ってきた人が何人かいて、その度に断ってきたこと。
そして、僕も幸次さんに断られました。
「いやまいったなぁ、ビックリしたべやぁ、ここまでしてきたのは...いなかった。いやぁ、どうするべぇ」少し困った表情をし頭を掻きながら言いました。
とりあえず、民芸屋さんで働きながら、機会を待ってまた幸次さんに頼むつもりでした。
ところが、民芸屋さんのオーナーが、幸次さんに掛け合ってくれました。
店先で木彫りの実演をしてもらうことで、僕と幸次さんとの時間を作ってくれたのです。
夢みたいな話でした。
「お前は俺の弟子じゃない」そう言いながら、いろんなことを教えてれました。
「いいかい、俺たちは木の機嫌を伺いながら、木に彫らせてもらうしかないんだぞ」
「汚い仕事をするんじゃない!いいかい、ここが大事なんだ。今は遅くてもいいから丁寧に丁寧に彫るんだ」
「一回雑な仕事の仕方を覚えると、これからずっと雑な仕事しかできなくなる」
それから北海道を離れ、数年後「俺に会うためにここまで来てくれたあの時のこと、ほんとに涙がでるくらいうれしかった」「あいつはおれの弟子だ」
生前、幸次さんが妻にこっそり言っていたことを後で知りました。
今となれば、不器用であることに劣等感を感じることはなかったと思うようになりました。
何度も何度も繰り返さないとできるようにならなかったことは、大切なことを育むのに必要な時間だったのだと思いました。そして、それが僕の力なのだと思いました。
今も、勇気を与えてくれて、少しの可能性を信じることの大切さを教えてくれた色褪せず僕の中にいるいろんな職業のヒーローたち。
僕は、そんな仕事がしたいと木を彫ってきました。木を彫る喜びを教えてくれた師匠はもうこの世にいないですが、師が遺した道具は僕の手の中で可能性を探して生き続けています。
長々と長文を書いてしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。